原野を漂う風になる
2025


“風は家の間を、窓の中を、体の隙間を通り抜けていく。大きな岩が川の形を縁取るように、建物や私たちが風の見えない形を作っている。私たちが日々行う選択やその意思は、まるで広い原野を漂う風のように自由であると思ってしまいそうになる。だけど実際には都市の風のように、構造的な枠組みの中で思考し選択していると思う。本当の自由は迷いの中にだけ存在している。
2022年の9月、私はモンゴルにいた。学部4年生、失恋の痛みや進路の悩みを抱えたまま旅に出た。
モンゴルでは広大な土地に観光地が点在していることや、そこまで公共交通機関が行き届いていないことから、個人ツアーを手配しガイドさんと共に車で国内を回る旅行スタイルが一般的だった。私もガイドのバタさんの自家用車である、薄汚れてベージュになったのか元からベージュだったのか忘れてしまったけど、とにかく少しボロいワゴンに乗って各地をまわった。
5日目の夜、旅程は少し遅れつつもその日の目的地の一つ前の小さな町に着いた。町の外れの小さくて簡易的なタイヤ修理屋でパンクしたタイヤを修理してもらう。その辺にいた町の酔っ払いに「この時間からここを出るのは危険だ」と引き止められながらも、19時頃私たちは出発した。そのタイヤ修理屋を出た時点でもう道は存在せず、いくつもの轍とほとんど電波の入らないスマホの地図、そしてバタさんの経験を頼りに進んでいった。
そしてあっという間に道に迷った。あの酔っ払いの言う通りにするんだったと後悔しながら、真っ暗な地平線の中をぐるぐる回ってどうにか向かうべき方角を探した。その際、車のライトが照らす目の前に、急に深い窪みが現れて落っこちそうになった時は本当に怖かった。(モンゴルの大地には自然にできた窪みが多く、モンゴル帝国時代にはこれを利用して攻めてくる敵国と戦っていた、とどこかで読んだ。)”
“窓から顔を出し上を見上げると満天の星空というか、むしろおびただしいほどの星々が一面に張り付いていた。私たちがどれだけ彷徨おうともじっとこちらを見つめるそれに、私たちの無事を祈らずにはいられなかった。宗教が生まれるならこういう瞬間だろうと思うほど不安だった。
だけど瞼の裏側には、日本から持参した失恋の痛みと進路の悩みがずっと浮かんでいた。ぐるぐる回って窪みに落っこちそうになった時も、あの時こうすればよかった、とか、これからどうすればいいのか、とか、モンゴルで車に乗って車窓を眺める間は常にそのことを考えていた。モンゴルにいる間に決断しよう、忘れようなどとは考えていなかったし実際もそうはならなかった。しかし、精神的な迷いを抱えて身体的にも迷っていたあの星との時間に、本当の自由は存在していたと思う。
知らない場所でいつ目的地に着くか分からない車に乗せられて、答えが出るはずもないことを考え続けることの不確定さの連続。それはむしろ、私を無数の可能性や希望が浮かぶ原野を漂う風にしてくれた。”